読んだり、書いたりの日々
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私は元来、死んでいるのではないかしら?
そんな風に思いふけることが常々あった。 ですから、できるだけ、できるかぎり 死人らしく行儀よくしておこう 死人らしい日々を試行錯誤しつつ生きている。 なぜ、死人らしさにこだわらねばならないかと言えば 死んでいるように思うけれど 実際の私は死人にふさわしくなく 大声で笑い、やかましく怒り ちょこちょこと動き回り しょっちゅう食べているし これは、生き生きと生きている人の特徴ではなかろうか? そう思わずにいられないからだ。 鏡をみる。 私は、やはり、死んでいるのではないかしら? 疑いながら口角を上げてニヤリとした どこかでみた顔である あぁ、12歳の私だわ こんばんわ。 声をかけてみたけど、12歳の私は返答しない。 ほら、こんなことくらいであれば、だれでも思いつきそうなものだ。ちょっと本を読むのが好きだったり、ちょっと映画を見るのが好きだったならば簡単なことだ。にもかかわらず、私は12歳の私との会話を楽しむのである、さっき買ってきた燻製を口に放り込み、シャルドネを飲みながら、――― しかしながら。 会話など成りたっておらず、私が、こんばんわと言っただけ、それでも私は何かを書こうとキーボードに触れているし、こういうときに思うのだ、私は死んでいるのではないかと。 質問というものは、純粋であるのだろうか? ねぇ、きみ、その批判は純粋なのか? その浪費は?その堕落は?その混沌は? いったいどこまでが純粋なのかね? ≪公平に取り扱ってください≫12歳の私が12歳の分際で、言った。 ねぇ、その反論は、純粋であるのかい? ですから、最初から申し上げたように、私は、元来死人ではないかしら?と思いながら、いかに死人らしく振舞うのかに神経を使いながら生きているわけです。 個人的なことがらを語ることない純粋な幻想が、無駄な日々を丁寧にたんたんと美しく織り上げていくことを、私は≪生きる≫と呼んだりするの。 PR |
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