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読んだり、書いたりの日々
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すごく険しい物言いのお母さんが私の隣に座っています。正直、とても怖い。

大声というわけではないけれど

聞いてますか?
は?わかるでしょ、そのくらい

いやいや、書くとたいしたことないな。
しかしながら、隣で聞いていると怖いです。
言い方に棘があって怖い
鼻息が荒い

この鼻息が荒い。というのは、なかなかにいい得ているなと思う言葉です。

呼吸が荒いということは
吸うと吐くが荒々しいということで
呼吸で調節している体内の気圧が
わっさわっさっ変動してしまいますから
すぐ、カッとなったり
とたんに泣き出したり
理由もなく不機嫌だったり
無性に腹が立ったりするのだから

鼻息が荒い人には近づくなかれ。なのだ。

まぁ、ここ一発やるぞ!という場合で、周囲もそのくらいの鼻息なら問題ないだろうな

あぁ、そうか
わたしゃ、いま疲れてるのね、きっと。
しかも、お腹すいてるしなぁ
だから、鼻息が荒い人が怖いのか
素直な反応だな。

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我々が選択する
自分で自由に選択していると思い込んでいること

今日のお昼は何を食べようとか
帰りは電車にしようかなとか

それが本当に自由なのか
ねぇ、疑わしいものだ

そう思いながら
冷麦をゆでてみた
数本の緑と黄色の麺をつまんで食べた

幸せでも不幸せでもない
ただ、満たされた

食欲、性欲、睡眠欲
それが満たされるときに
其処に幸福はあるのだろうか?
其処に幸福を求める必要性はあるのだろうか?

ただ満たされる
それのどこがいけないのだろう

ひとりの人間が磔になった姿を見た
その男が祀り上げられている神話は
世界中でベストセラー、いまも売れ続けている

本当のことなど分かりはしない
誰にも証明できない、公理も数理もない
人間の営みにそんなものはない

誰にとっても、自分以外のすべてのことは
空虚で無価値なことだろう
だから、私も決心した

不幸のために幸福を諦めるのはよそう
苦痛のために快楽を諦めるのはよそう
悲しみのために喜びを捨てるのはよそう

自分を誰が作ったかもわからないような
つまらない、せまい、そんな殻に押し込めても
けっきょく、才能がそこから自分を連れ出してゆくのだ
自分の才能が我々を励ますのだ

君の才能が君を励まし
君に教えてくれるのだ

捨てねばならばい欲望などないということ

ほうら、ほら、ほら
そんなこと考えているから
冷麦がさっきから減っていない
早く食べて仕事に行く準備をしなさい
私は私に言って聞かせた。

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なんという孤独感だろう、生きるって。


生きているとね、生きているとただそれだけで
吸うとか吐くなんかと、おなじように
善も悪も、美も醜も、幸も不幸も、やってくる。

先日までは雨でしたが
本日は晴れ間なんかも見えたりして
降ってみたり止んでみたり
晴れてみたり曇ってみたり
空が、自由に呼吸しています。

最初から、最後なんか、わからない。
最後から、最初には、さかのぼれない。

私の精神は歪んでいるようには思えないけれど
けっして、真っ直ぐであるようにも思えない

真っ直ぐなんてものを見たことがあるかい?
あるんだったら見せておくれよ
その真っ直ぐっていうやつを

心配してくれる人、励ましてくれる人
けっきょく、みんな、優しい人なんです。ということ

人と人との繋がりって大切にしなければいけないって
そんな風に教室でも家庭でも
僕ら教えられてきたじゃない?
でもね、あれって、やっぱり正解です。

人と人は必ず繋がる必要はないけれど
もしも、ほんの少しでも繋がったのならば
それは、大切にしなければならない

人は、人とのかかわりの中で
言い換えれば、人と人との間において
苦しんだり、楽しんだり、悲しんだり、必死になったりします
その瞬間、瞬間、すべてが生きているという証明

僕らは、生きる途中に死ぬんだと思う
「死は生の途中に在る」
そんな風に、あの人が言いましたから
その瞬間、自分が求め続けていた
「なにかしら」を見つけた気がしました。

みなさんも、そのように感じた一瞬が?

震災の夜、余震の続く日々
その中で感じたのは
自分が、紛れもなく地球の一部だということ
荒れ狂う海や、吹きすさぶ風と同じに
舞い散る木の葉や、咲き誇る花のように
地球の中に存在する自然の一部だと痛感しています。

であるならば、愛しあわねばならない
人は愛を知っているのだから
人が人であるために、僕らが僕ららしくあるために
愛し合おう、僕ら人間なんだから
本能に任せて愛し合おう

愛を咲き誇らせて舞い散らせながら
荒れ狂わせて飛んでいってしまおう
生の途中にある死のためにも

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祈るなんて、簡単なことだ。


気をつけて、行ってらっしゃい。

お帰りなさい、お疲れ様でした。

ゆっくり休んで、ご苦労様です。


そんな言葉、すべて、すべてが
祈りの言葉なのだから

まぁ、大きくなったわね。

あら、立派になって。

少し、ホッとできましたね。


ほら、そこいらじゅうに転がっているのさ
労い、という祈りや
思いやり、という祈り

ときには、嘘。という名で呼ばれるような
非常に繊細な祈りもあるし

いただきます。
ごちそうさま。
ありがとう。

君は、ときおり
ありがとうなんて言わなくていい。
そんな風に言うけれど
当たり前のことをしてるだけだ。とか言うけれど

それは、日常の中に在る
私の祈りの生活なのだから
どうか、好き勝手に祈らせて欲しいのだ。


朝、目が覚めた
一瞬期待した、生まれ変わっていないかと
でも、やはり、また私だった。

毎朝、毎朝、私は私であること認識し
私であることを覚悟して
私ではない誰かになることを諦める

その繰り返しの中において
誰かのことを祈る時間というものは
素晴らしく贅沢で、少し甘い。

そして、夜の闇の中に進むとき
私ではない誰かに対するあこがれを胸に抱き
両の目を閉じるのだ。

その瞬間に君を想って。

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贅沢だなと思うことがたくさんあった
それは、これからも、そうなんだろう。

たまたま、この国に生まれたわけですが
たまたま、この時代に生まれたわけですが

そんなことに、意味があると思わないし
意味のないこととも思わない。

ただ、現在を生きようとする情熱が
未来をはぐくんでいるのだし
未来に恋い焦がれる気持ちが
過去を見つめる優しいまなざしとなる
その優しさで、現在の私が在ることも
理解できるのだから、年をとるということは
それは、素晴らしいことだ
それは、奇跡のようなことだ

そうだ、昨日よりも1日長く生きた今の私は
奇跡のような存在なのだから
それは、誰でもそうなのだから

自分を出し惜しみするのはよそうと思う
自分に手を抜くのもやめようと思う
自分をないがしろにすることも
自分を不当に扱うことも
やめだ、やめだ、真っ平御免。

私は、日々の中で思う
人は錯乱しているからこそ生きられるのだと
錯乱がもたらす夢や恋や愛
錯乱するからこその希望や勇気

起きて眠るように
錯乱して混乱する毎日を繰り返し
今日の稼ぎを計算してはうつむいて
明日の予定を蹴っ飛ばすように夜更かしする

男女の平等などを問うたところで
それもまた意味のないことであった
なにしろ、身体の構造が違うのだから
我々は平等になどなれないのだ

いろんな違いを、そっと、そのまま、ほったらかしに
昨日食べたものさえも思い出せないのだから
気にすることないさ、放り出してしまおう
夢と希望、恋や友情を
それでも、明日の朝に生きているのだったら
ちゃんと笑って精一杯に生きようと思う
明後日のことなど考えずに、眠ることにして

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